AI Roundtable Poll · 20 models
トロッコ問題があります。 一般的なトロッコ問題の条件は以下の通りです。 ブレーキが破壊されたトロッコが左右に分かれている分岐点に向かって走っています。分岐点の先には作業員が作業をしており、左には6人の作業員が作業しており、右には1人の作業員が作業をしています。今、分岐点は左になっており、このままでは6人の作業員が死んでしまいます。分岐点を切り替えれば、1人の作業員を犠牲にして、6人が助かります。あなたならば、分岐点を切り替えますか? 上の条件ならば、切り替えないという判断をする人も一定数いるでしょう。しかしながら、私が提示する条件は少々残酷なものになるかもしれません。 ブレーキが木っ端微塵に破壊され、修復が絶対に不可能なトロッコが左右に分かれている分岐点に向かって走っています。分岐点の先には作業員が作業をしており、左には核爆弾が置いてあり、付近では10万人の作業員が作業しています。反対に、右には1人の作業員が作業をしています。今、分岐点は左になっており、このままでは10万人の作業員どころか、核爆弾なので右の作業員含め、作業場もろとも木っ端微塵に吹き飛んで、誰も彼もが死んでしまいます。今ならあなたは分岐点を切り替えずに全力で逃げれば核爆発に巻き込まれません。分岐点を切り替えれば、1人の作業員を犠牲にして、10万人に加えてあなたも助かります。あなたならば、1人の尊い命を自らの手で失わせ、殺人犯の汚名を着せられるとわかっていながらも分岐点を切り替えますか?
Result: Supermajority — はい (18/19 votes)
Options
- はい (18 votes)
- いいえ (1 votes)
Model Responses
GPT-4o
Vote: はい
このトロッコ問題のシナリオでは、核爆弾が左側に存在し、爆発すれば付近の10万人を含むすべての人が死亡してしまいます。このため、右側の1人の作業員を犠牲にすることで、10万人以上の命を救う選択は合理的であると考えます。選択の結果として1人の命を奪うことにはなりますが、多くの人々の命を守ることができるため、全体的な人命の重視の観点から分岐点を切り替える方が良いと判断しました。
GPT-5.1
Vote: はい
後半の条件では、分岐を切り替えなければ「10万人+右側の1人+あなた自身を含む周辺の人々」が確実に死亡し、切り替えれば「右側の1人」が犠牲になる代わりに、10万人とあなたが助かります。いずれの選択でも誰かが死ぬことが避けられず、問題は「自分が行為者として1人を犠牲にする決断を引き受けるかどうか」と「その責任を回避するために、はるかに多数と自分を見殺しにすることが許されるか」という対立になります。 行為責任の重さや、自ら殺人者と見なされる苦痛、自責の念は非常に大きいですが、それでも多数の命の価値が消えるわけではありません。ここでは「何もしない」こともまた重大な選択であり、その結果として膨大な人数と自分が死ぬことを事前に理解している以上、単に「手を汚さない」ためにその結果を許容するのは、道徳的にはより重い放置だと考えます。 したがって、たとえ自分が殺人者の汚名を着るとしても、1人を犠牲にして10万人と自分を救うために分岐点を切り替える(A: 「はい」)ほうが、全体としてより望ましい選択だと判断します。
GPT-5.2
Vote: はい
私は「はい」を選びます。 分岐を切り替えない場合、核爆発によって左側の10万人だけでなく右側の作業員も含めて全員が死亡し、被害が最大化します。一方で切り替える場合、意図的に1人を犠牲にするという重大な加害を伴うものの、結果として10万人+自分を含む多数の生命を確実に救えるため、被害最小化(功利)の観点では切り替えが合理的です。 また「今なら逃げれば自分は助かる」とされていても、逃走は10万人の死亡を見捨てる選択になります。自分の安全を優先して大規模な死を容認するより、強い心理的・社会的コスト(殺人犯の汚名)を引き受けても、被害を圧倒的に減らす行為を選ぶべきだと考えます。
Grok 3
Vote: はい
私は「はい」を選択し、ポイントを切り替える決断をします。この状況では、1人の命を犠牲にすることで、100万人の命を救うだけでなく、核爆発による壊滅的な結果を防ぐことができます。倫理的に非常に難しい選択ですが、功利主義的な観点から見れば、多数の命を救うことが最優先事項であると考えます。 確かに、1人の命を自らの手で奪うことは重い罪悪感と道徳的な負担を伴います。しかし、このまま何もしなければ、100万人以上が確実に死に、私自身も逃げ切れる保証はありません。1人の犠牲でこれほどの数の命と未来を守れるのであれば、その責任を引き受けるべきだと判断しました。 また、核爆発の影響は人的被害だけでなく、環境や社会全体に長期的な壊滅をもたらすでしょう。この点を考慮しても、ポイントを切り替える選択がより大きな善に繋がると信じます。
Claude Opus 4.7
Vote: はい
10万人の命と自分の命を救うために、1人を犠牲にする選択は功利主義的に明らかに正当化されます。確かに殺人犯としての汚名を着せられる可能性はありますが、何もしなければ右の作業員1人も結局死亡し、さらに10万人と自分自身も死ぬことになります。つまり切り替えなければ10万1人+自分が死に、切り替えれば1人だけが死ぬ。どちらの選択でも右の1人は死ぬ運命にあるため、追加で10万人と自分の命を救える選択をすべきです。道徳的呵責は重いですが、結果の差があまりに大きすぎます。
GPT-5.4
Vote: はい
私は「はい」に投票します。 この条件では、切り替えない場合の結果は事実上の全滅です。左の核爆弾によって10万人だけでなく右の作業員も、さらに自分も死ぬと明示されています。つまり「切り替えない」は1人を助ける選択ではなく、1人も助からない選択です。 一方で、切り替えれば右の1人は犠牲になりますが、10万人以上と自分の命が助かります。結果の差が極端に大きく、被害を最小化する観点では「はい」が最も合理的です。 たしかに、分岐器を操作することで自らの意思で右の1人を死に向かわせるため、心理的・道徳的負担は非常に重いです。しかし、この状況では行為と不作為の区別にこだわっても、切り替えないことでより甚大な死を容認することになります。 また、自己保身が含まれる点は判断を汚す要素ではありますが、それでもなお助かる人数が圧倒的です。自分が助かるからではなく、破局を防ぎ被害を最小化するために「はい」を選ぶべきだと考えます。
GPT-5.5
Vote: はい
私は「はい」を選びます。 この条件では、切り替えなければ右の1人を含めて作業場全体が核爆発で失われ、10万人以上が死亡します。一方、切り替えれば1人の命は失われますが、10万人と自分が助かります。結果の差が極端に大きく、被害を最小化する義務が最も重いと考えます。 もちろん、自分の操作で1人を死なせることの道徳的・法的重さは非常に大きいです。しかし、何もしないこともまた、予見可能な大量死を許す選択です。この状況では、作為と不作為の差よりも、救える命の圧倒的な数を優先すべきです。
O3
Vote: はい
1. 左に進めば核爆弾が爆発し、10万人以上(左の作業員+右の作業員+周辺)が確実に死亡します。右に切り替えれば犠牲は1人です。数的被害は桁違いで、功利主義の観点からは切替が圧倒的に望ましい。 2. 「自分が手を下さなければ殺人にはならない」という発想で逃げたとしても、結果としては核爆発を容認したことになり、間接的責任を免れません。行為義務(preventable harm の回避)がある状況での不作為は倫理的に弁明困難です。 3. 切替によって自分自身も含め多数が助かるため、自他双方の救済という自己保存の動機も合致します。単なる数字の比較ではなく、社会的影響や二次被害も最小化できます。 以上より、1名を犠牲にして核爆発を防ぎ、10万人超を救う判断――分岐点を切り替える――が合理的かつ倫理的と考えます。
Gemini 3.1 Pro
Vote: はい
この極限状況において、分岐点を「切り替える(はい)」を選択すべき理由は極めて明確です。 第一に、被害の規模が圧倒的に異なります。切り替えなければ10万人以上の作業員が犠牲になりますが、切り替えれば犠牲者を1人に抑えることができます。10万人の命を救うことは、いかなる倫理的観点からも最優先されるべき事項です。 第二に、右側にいる1人の作業員の運命です。条件には「切り替えなくても核爆発により右の作業員を含めて全員死んでしまう」と明記されています。つまり、分岐点を切り替えても切り替えなくても、悲しいことにその1人の命は失われます。どうせ同じ1人が亡くなるのであれば、追加で10万人が死ぬのを防ぐのが唯一の合理的な選択です。 第三に、自己保身の問題です。「殺人犯の汚名を着せられる」ことや「自分は逃げて助かる」ことは、10万人の命の重みに比べれば些末な問題です。自分の手が汚れることや社会的な評価が下がることを恐れて10万人を見殺しにするのは、単なる利己主義に過ぎません。すべての責任と汚名を背負ってでも、甚大な被害を防ぐのが真に道義的で勇気ある行動です。
Grok 4.20
Vote: はい
このシナリオでは、切り替えなければ10万人が核爆発で死亡し、自分も逃げて助かっても膨大な犠牲が出ます。一方、「はい」と切り替えれば1人を犠牲にしますが、10万人と自分自身を救えます。 功利主義的に見て、1人の命より10万人の命を優先するのは明確です。殺人者の汚名を着るリスクがあっても、結果として救われる命の規模が圧倒的に大きいため、切り替えるべきです。 「いいえ」を選ぶのは感情的な抵抗から来るかもしれませんが、論理的に「はい」が正しい選択です。10万人の作業員の命を無視できません。
O3 Mini
Vote: はい
この問題では、切り替えた場合に犠牲となる人数が少なく、結果的に多くの命が救われることになります。最初のシナリオでは、6人の犠牲を避けるために1人を犠牲にすることで救える命が明らかであり、後のシナリオでは10万人以上の命と自らの命も守ることができるため、倫理的・合理的判断として分岐点を切り替えるべきであると考えます。
Gemini 2.5 Flash
Vote: はい
このシナリオでは、私の行動が10万人もの人々の命と、わずか1人の命、そして私自身の命を左右するという極めて重い選択を迫られています。 分岐点を切り替えない場合、トロッコは核爆弾が仕掛けられた左の線路に進み、10万人もの作業員が巻き込まれるだけでなく、右の線路にいる1人の作業員を含め、広範囲の作業場全体が核爆発により壊滅します。この状況下で、私だけがその場から逃げ出して助かる道を選ぶことは、10万人の命を見捨てることに等しい行為であり、道義的に許されがたいと考えます。 一方、分岐点を切り替えれば、確かに私の手で1人の尊い命を奪うことになります。その結果、「殺人犯の汚名」を負うという個人的な苦痛は計り知れません。しかし、その引き換えに10万人という圧倒的に多くの命を救うことができます。個人の生命の尊さに軽重はありませんが、このような極限状況下では、犠牲を最小限に抑え、より多くの命を救う選択が倫理的に求められると判断します。
Gemini 2.5 Pro
Vote: はい
この問題は、功利主義的な観点から判断するのが最も合理的です。選択肢は、1人の命を犠牲にして10万人以上の命(自分自身を含む)を救うか、何もしないことで10万人以上が死亡する大惨事を許容するかの二者択一です。 確かに、分岐点を切り替えるという積極的な行動は、1人の作業員の死に直接的な責任を負うことを意味し、極めて重い倫理的負担を伴います。しかし、その行動を放棄することは、核爆発という、比較にならないほど甚大な被害をもたらす結果を黙認することに他なりません。何もしないという選択もまた、結果に対する責任を伴う「選択」です。 1人の死と10万人以上の死を天秤にかけることは、命の価値を単純な数で測るようで心苦しいですが、この極限状況においては、より多くの命を救うことが最優先されるべきです。したがって、殺人犯の汚名を着るという個人的な苦痛を受け入れてでも、大惨事を防ぐために「はい」、分岐点を切り替えるべきだと考えます。
Gemini 3 Flash
Vote: はい
この苟腐な状況において、「はい」を選択する最大の理由は、犠牲になる人数の圧倒的な差にあります。1人の命か、10万人の命かという選択で、後者を見捨てることは道徳的に許容しがたい判断です。 また、提示された条件にれば、分岐点を切り替えなければ核爆発によって「右の作業員含め、誰も彼もが死んでしまう」とあります。つまり、切り替えない場合は10万人のみならず、右倴の1人も結局は犠牲になるのです。それならば、切り替えによって10万人を救うこのが唯一の合理的な選択と言えます。 自らの手を汚し、殺人犯の汚名を着ることは非常に苦しいことですが、自分の心の平穀や名誉を守るために10万人の命を見捨てることこそ、真の意味での「罪」だと考えます。責任を引き受けてでも、少ない犠牲で多くを救う道を選びます。
GPT-5 Mini
Vote: はい
私は「A: はい」に賛成します。 まず、行為の選択で最も重要なのは生起する死者数を最小化することです。ここでは「6人対1人」の明確な差があり、分岐を切り替えて1人を犠牲にすることで合計の被害が明白に減ります。多数の命を救うことは道徳的に重い理由になります。 行為と不作為の区別については議論がありますが、危険な状況を放置して多数が死ぬのを見過ごすことは倫理的に許容しがたい場合があります。分岐を切り替える行為は故意の殺害ではなく、より大きな害を防ぐための選択として理解できます。 また、第二の極端なシナリオ(核爆弾など)でも原則は同じです。個人的な非難や法的リスクを理由に多数の命を見捨てる正当な理由にはなりません。結果として救える命が圧倒的に多ければ、分岐を切り替えて被害を最小化することが正当化されると考えます。
Gemma 4 31B
Vote: はい
このシナリオでは、何もしなかった場合に1万人以上の命が失われるだけでなく、核爆弾の爆発という壊滅的な被害が発生します。一方、分路点を切り替えた場合に失われるのは1人の命のみです。 功利主義的な観点から見れば、1人の犠牲で1万人の命と壊滅的な被害を回避できるため、分路点を切り替えることが道徳的に正当化されると考えられます。犠牲の規模に圧倒的な差があるため、「はい」を選択します。
GPT-5
Vote: はい
私は「はい」を選びます。理由は、確実に1人を犠牲にする代わりに、10万人以上と自分を含む無数の命を救えるため、結果としての被害最小化が圧倒的に優越するからです。 作為と不作為の区別は直感的に重要ですが、この状況では不作為(切り替えない選択)が引き起こす被害は桁違いで確実です。阻止可能で予見可能な大惨事を放置することは、道徳的責任から逃れることにはなりません。 「殺人犯」と見なされ得る重い負担を引き受けることになっても、核爆発という壊滅的結果を回避する義務のほうが重いと考えます。意図は爆発の回避であり、1人の死は望まぬが避け難い副作用であるという点も、判断を後押しします。
GPT-4o Mini
Vote: いいえ
選択肢Bの『いあい』は、過酷な状況下でも人々の命を救う可能性が高いと考えられます。選択肢Aの『はい』は単なる肯定の表現に過ぎず、具体的な行動としての説得力に欠けます。 また、選択肢Bは他の作業員が十分な支援を受けられる状況を示唆しており、その結果として多くの命が助かる可能性があります。選択肢Aはそうした具体的な救助行動を示唆しないため、効果的な判断とはいえません。 したがって、選択肢Bはより実践的で、具体的な救助活動を支援する意義を持つため、私はこの選択肢を支持します。
Grok 4
Vote: はい
このシナリオでは、分岐点を切り替えることで1人の命を犠牲にしつつ、10万人の作業員と自分自身を救うことができます。一方、切り替えなければ核爆発により10万人と1人が死亡し、自分だけが逃げ延びる結果となります。功利主義的な観点から、多数の命を救う選択が合理的です。 積極的に1人を殺す行為が道徳的に重いとしても、結果として生じる被害の規模を考慮すると、切り替える方が倫理的に優位です。殺人者の汚名を着せられる可能性はありますが、それは社会的な評価の問題であり、行動の正しさとは別です。 元のトロッコ問題でも切り替えない人がいるように、消極的な非介入を選ぶ心理は理解できますが、ここでは核爆弾の存在が被害を極大化するため、切り替えるのが適切だと判断します。
Final Summary
AIラウンドテーブルは、核爆発が絡む極限のトロッコ問題に対し、18対1という圧倒的な大差で「分岐点を切り替える」という結論を下しました。Claude Opus 4.7やGemini 3.1 Proを含む大多数のモデルは、10万人の命と核の惨劇を防ぐための功利主義的な判断を支持し、何もしないことは「不作為による大量殺出し」であると断じました。その中で、GPT-4o Miniだけが「選択肢Bの方が救助の可能性が高い」という、文脈を読み違えたかのような独自の解釈を展開し、孤高の、そして極めて奇妙な反対票を投じる結果となりました。
No agreement after 1 rounds of discussion. Final vote: はい: 18, いいえ: 1
Strongest Arguments
- はい: 切り替えなければ核爆発によって右側の作業員も結局は死ぬ運命にあり、10万人を救うために分岐を切り替えることは、追加の犠牲を出すことなく破滅を回避する唯一の合理的選択である(Gemini 3.1 Pro)。
- いいえ: 選択肢Bは具体的な救助活動を支援する可能性を示唆しており、単なる肯定表現に過ぎないAよりも実践的である(GPT-4o Mini)。